斎藤隆夫「比較国会論」序言

斎藤隆夫(http://www.tanshin.co.jp/zaidan/1hito/17saitou/index.html)の比較国会論の序言を文字起こししました.原典は国立国会図書館の近代デジタルライブラリーで公開されているものを使いました.http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/784356/1

比較国会論は,今から106年前,政治家を志した斎藤隆夫が自費出版したものです.彼は立憲政治とは何かを,この書籍を通して問いました.

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  • 仮名遣いは現代仮名遣いに変更したつもりです.

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序言
政治は成長す,太古(たいこ)白耳曼(ゲルマン)の深林中に棲息せしチュートン民族の間に萌芽を発せし国会制度は海を越えて武烈顛(ブリテン)に渡り,千有余年間の発達に依(よ)りて立憲政治と為(な)り,世界の大半を風靡して遂(つい)に東洋の一帝国に来(きた)れり,然(しか)れども立憲政治とは抑(そもそ)も何(なん)ぞや,憲法を制定して国権の発動を定め,国会を設けて立法の事に関与せしむるを以(もっ)て立憲政治なりとするは,形式上より之(これ)を定義したるものにして真正に此(この)政治を解(げ)したるものと謂(おも)うべからず,立憲政治の究極の目的は国民の共同意識を以(もっ)て政治の原動力と為(な)すに在(あ)りて,憲法及び国会は此(この)目的を達するの機械たるに過ぎず,而(しか)して国民の共同意識の発現したるものは則(すなわ)ち輿論(よろん)なれば,立憲政治を以て輿論政治なりとするは決して誤れるものにあらず,去りながら吾人(ごじん)は今日の世界に於(おい)て斯(かか)る政治の現出を期すべがらず,何となれば真の輿論政治は健全なる輿論の存在するありて始めて行わるべきものなるに,今日の世界は此(かく)の如(ごと)き輿論の発生する根拠を欠くものなればなり,暗愚蒙昧(あんぐもうまい)なる野蛮未開の国民は言うに足(た)らず,所謂(いわゆる)立憲国民を以(もっ)て自ら称する者と雖(いえど)も,其最大多数は尚(な)お政治的無知の境遇を脱する能(あた)わず,斯(かか)る国民に向(むかい)て健全なる輿論の現出を要求するも得(え)て望むべからず,健全なる輿論の存在するものなくして真の輿論政治を行わんとするは,恰(あたか)も空中に向(むかい)て楼閣を築かんとするが如(ごと)し,百年千年之を試むると雖(いえど)も遂に無益の徒労と為(なり)て終わるべし,然(しか)らば現代に於(お)ける立憲政治の理想は何(いず)れに在(あ)りやと云(い)うに,余(よ)は之(これ)を国会政治なりと断言せん,国会政治の目的は不確定なる国民の輿論に信頼せずして,確定せる国会の意思を以(もっ)て政治の元動力(原動力?)と為(な)すに在(あ)り,或(あるい)は言わん,国会は輿論の代表機関なるが故(ゆえ)に,国会政治は則(すなわ)ち輿論政治なり,二者の間に於(おい)て何の異なる所あるかと,余(よ)は之(これ)に答えて言わん,国会を以(もっ)て輿論の代表機関なりとするは,政治上に於(お)ける一の「フィクション」たるに過ぎずして,決して正確なる定言として認むる能(あた)わず,何となれば今日の時代に於(おい)て国会に依(よっ)て代表せらるべき真正なる輿論の発現を期待するも得(え)べからざるのみならず,国民の輿論と国会の意思とをして常に相一致せしめんとするが如きは,一个(いっか)の理想として之(これ)を尊重すべきも之を現実にすることは殆(ほと)んど期すべからず,旦つや今日の社会進歩の程度より考うるときは,此(かく)の如(ごと)きは愚昧なる多数国民の声を以て国会の意思を左右せんとするものにして,国家の政略上頗(すこぶ)る不利益なるのみならず,又(また)頗(すこぶ)る危険の業(ごう)たるを[を]免(まずが)れず,故に現代の立憲政治の理想は真の輿論政治にあらずして,国会政治なることは為政家たる者の常に記憶して忘るべからざる事なり.

国会政治の目的を達せんと欲せば,国会は健全なる意思と之(これ)を遂行するの気力とを有し,是(これ)より生ずる勢力を以て政治の全般に及ぼさざるべからず,而(しか)して国会の意思と気力とは之(これ)を組織する議員の知識及び道徳に依(よっ)て形成せらるるが故に,此(この)二者を兼備する多数の議員ありて,国会の威信と勢力とを確大ならしむることあらば,初めて国会政治を現出せしむることを得んも,然(しか)らざる間は国会政治も亦(また)到底(とうてい)仮装(かそう)虚偽(きょぎ)たるを免(まぬが)れざるのみあらず,偶々(たまたま)以て無知無徳の徒をして政治的野心を遂げしむるの因と為り,国家民人は之に依て失う所あるも毫(ごう)も得る所なかる[所な]べし.

善良なる国会は完全なる法則の下に建設せらるるが故に,為政家たる者は時数の変遷に応じて国会法規を改良し,健全なる国会を組織することを怠るべからず,然れども法は元来死物なり,之を運用するの人を得ざれば千法萬令遂に従法従令と為りて終わるべし,我国に於て国会法規の改正を耳にするや久し,之を改正する素より不可なしと雖も,之と同時に国会議員の知識及び道徳を改良するは又以て当今の急務にあらずや,国会議員にして智徳なきは虚偽の議員なり,虚偽議員を以て充たされたる国会は又虚偽たるを免れず,嗚呼虚偽の国会!政府を監督すべき地位に在りながら却(かえっ)て政府の為めに翻弄せられ,官僚を叱咤するの地位に在りながら,却て彼等の為めに頤使(いし)せらる,国会の威信全く地に堕ちて其(その)軽きこと羽毛の如し,此の如き国会を掲げて立憲政治を歌わんとする抑(そもそ)も児戯の甚(はなはだ)しきものなり,憐(あわれ)むべき日本国民は今尚(な)お暗愚迷想の夢より醒めず,立憲政治の美名に迷い,国会議員の悪魔に欺かれて,茫然自覚する所を知らず,彼等が選出する代表者は,白昼公然国家問題を売却して私慾(しよく)を逞(たくまし)うすることあるも,彼等は之を監督制禦(かんとくせいぎょ)するの途を知らざるのみならず,却て之に信頼して自己の救済を求めんとす,議員に罪あり,一世を擧(あ)げて罪過の渦中に投せずんば止まず,慨すべしとや云わん,嘆すべしとや云わん.

余が論述する比較国会論は,英,米,独,仏,日,伊,瑞(スイス)の七国の国会を比較研究したるものにして比較政治学の一部に属す,倉卒(そうそつ)筆を下す魯魚(ろぎょ)の誤なきを保せず,若し夫れ江湖の識者に依て指摘訂正を受くることあらば余の幸は之に過ぎず.

明治39年10月(西暦1906年10月)
東京に於て
斎藤隆夫識す

初稿:2012-07-09T11:00:00.001+01:00
最終更新日:2012-07-09T11:02:51.361+01:00

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