文化多元主義

もうすぐ溝口雄三さんが亡くなって2年になるんやなぁ.

ただ私は世界のどの民族にもそれぞれ固有の文化があり、その文化には価値の序列はつけられず、本質的には平等であるというにすぎません。つまり私は、文化多元主義の立場に立って中国文化に接しているにすぎないのです。

溝口雄三氏(東京大学名誉教授)が死去
(読売新聞 – 2010年07月21日 14:47)
溝口雄三氏(みぞぐち・ゆうぞう=東京大学名誉教授)13日、死去。77歳。近年パーキンソン病を患っていた。葬儀は近親者で済ませた。後日、しのぶ会を開く予定。喪主は妻、睦子(むつこ)さん。
名古屋市出身。専門は中国思想史。一橋大、東大などで教授、中国社会科学院(大学院)でも名誉教授を務めた。著書に「中国の衝撃」「方法としての中国」など。

(大東文化大学中国文学科溝口ゼミのサイトに掲載されていた文章)

mizoguchiyuzo

新入生の皆さんへ

たとえば、あなたがタヒチで生まれ育ったとしましょう。そこでは時計を必要としない自然時間の生活が、営まれていたとしましょう。そこを訪れた時計時間の生活の「文明人」が、自分達を先進的、タヒチ人を後進的と序列したとしましょう。

その時あなたはその序列化にどう対処しますか。

(1)その序列を無条件で受け入れ、「先進的」な時計時間生活を目標とする。

(2)自分達を歴史的に遅れた「後進的」存在と認め、劣等感を抱く。

(3)必要な限り時計時間を取り入れるが、自然時間生活のペースは壊さない。

(4)時計時間生活も自然時間生活も、それぞれ長所短所があり、それに先進・後進や優劣の序列をつけるべきではない、と考える。

おそらく多くの皆さんが(3)か(4)かあるいはその両方を選ぶのではないでしょうか。しかしその同じ皆さんが、一方では「ド田舎」を馬鹿にし、あるいはそれに劣等感を持ち、都会生活にあこがれ、都会人であることに優越感を抱いたりはしていないでしょうか。あるいは、アジアを「後進的」、欧米を「先進的」と、無意識のうちに序列化してはいないでしょうか。
私はそのような、序列的文明観、歴史観に反対です。

しかし、一般論として、序列反対をいうことは、実はたやすいのです。ちょうど皆さんが頭では(3)(4)を選んだと同じように。

私たちは、都会に対して具体的に、「ド田舎」の良さを、つまりそこに存在する独自的な文化の実体を明らかにし、都会が文化的に「先進的」だと思っている人達になるほど「ド田舎」には実はこんな文化があったのか、都会を一概に「先進的」と考えていたのは自分達の知識に偏りがあったからだ、と納得させなければなりません。アジアの文明、文化にもそれは言えます。

私たちが研究対象としている中国は、一般に、古代に優れた文明を持った国だけれども、近代以降には欧米や日本に遅れをとり、「後進的」となった、とみなされています。いや、我々だけではなく、当の中国人自身もそう思ってきましたし、今でも多くの中国人がそう思っています。

そこで私は、例えば、『方法としての中国』という本を出し、中国の近代を『後進的』とした観点のどこが歪んでいたか、を出来る限りの範囲で、明らかにしました。また、10世紀(宋代)から20世紀(現代)までの中国の思想文化の実体を明らかにする作業をあれこれと試みてきており、今もそれを続け、これからも試み続けるつもりです。

とはいえ、私は中国文明を礼讃したり、それの復権のためにそうするのではありません。つまり私は決していわゆる中国贔屓やド田舎主義者ではありません。

ただ私は世界のどの民族にもそれぞれ固有の文化があり、その文化には価値の序列はつけられず、本質的には平等であるというにすぎません。つまり私は、文化多元主義の立場に立って中国文化に接しているにすぎないのです。

私のゼミは、授業の中で、あるいはコンパの折り、あるいは菅平合宿の夜、自分の価値観、生活意識、世界の状況などを勉強以外に語り合うことを一つの特徴としています。

ただし、本年(1997年)4月から明年(1998年)3月末まで、北京に行きますので、この一年はゼミも授業も休みます。来年に、お会いすることを楽しみにします。

初稿:2012-06-27T12:19:00.000+01:00
最終更新日:2015-07-24T10:38:00+01:00

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