新橋(ポン・ヌーフ)

新橋(ポン・ヌーフ)で、わたしは会った
ルイ・アラゴン

新橋で わたしは会った
繋ぎのわるい 荷足船や
地下鉄の サマリテーヌ駅の
遠い歌がきこえてくる 橋の上

新橋で わたしは会った
杖もなく犬も連れず 札もさげず
憐れみを乞う 哀れな男に
その前を 人波は流れる

新橋で わたしは会った
わたしじしんの むかしの姿に
その眼はただ 泣くためのもの
口はただ ののしるためのもの

新橋で わたしは会った
見るも哀れな その風態
おのれの苦しみだけに かかずらい
それだけに心奪われた あの乞食に

新橋で わたしは会った
人生の端にいた わたしの影に
あけぼのにいた わたしじしんに
あの頃のように きょうも煙って

新橋で わたしは会った
わたしの生まれる前にもいたような
いつも おどおどおびえた若者に
青春の日の わたしの幽霊に

新橋で わたしは会った
ひたすら うつろな妄想にふけり
根も葉もない詩などにとり憑かれ
夢想のとりこだった 二十歳(はたち)の若者に

新橋で わたしは会った
腕を組みあう 恋びともなくて
くちびるはただ 風に荒れはて
口ずさむ歌に 酔いしれた若者に

新橋で わたしは会った
清らかな額と 度はずれの趣味をもち
身もこころも うわの空の道化師に
曵き舟からあがる 暗い叫び声のなか

新橋で わたしは会った
ノートル・ダムの 塔のあいだを
はぐれてさまよう 鳩のような
こころも すさんだ 遊び人に

新橋で わたしは会った
これから始まる わたしのスペクトル
河下の町は 金いろに塗られ
河上で 恋物語は終わるのだ

新橋で わたしは会った
わたしの同類に 哀れな若僧(やつ)に
かれはわたしに 指さし示した
セーヌの上はるか 太陽の黒点を

新橋で わたしは会った
仮装した 昔のもうひとりのわたしに
そうして かげってゆく陽ざしのなかで
かれはそっとささやいた「同士よ」と

新橋で わたしは会った
無知で信じやすい わたしと瓜二つの者に
そしてわたしは ながいことたたづんでいた
あとじさりしてゆく わたしの影のなか

新橋で わたしは会った
わたしのつぶやいた 繰り返し(ルフラン)に
かつてわたしの光だった おんなじ夢に
すりへった 石だたみの上に座って

めくらよ まためぐり会っためくらよ
男やもめの眼なざしで 通ってゆき者よ
おお 遠ざかってゆく わたしの過去よ
新橋の 橋の上

出典:飯塚書店刊「アラゴン選集第3巻」(大島博光訳)

Portrait de Louis Aragon par Henri Matisse

Portrait de Louis Aragon par Henri Matisse

ルイ・アラゴン(Louis Aragon、1897年10月3日 – 1982年12月24日 )は、フランスの小説家、詩人、批評家。ヌイイ=シュル=セーヌ出身。 ダダイズム文学、シュルレアリスム文学を開拓、後は共産党員となり、共産主義的文学へと足を踏み入れていく。代表作は、「パリの農夫」、「共産主義者たち」など。原爆詩人の峠三吉も影響を受けたとされる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%82%B4%E3%83%B3

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