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山本熊一遺稿『大東亜戦争秘史』

半藤一利の遺稿『戦争というもの』に1941年11月29日の重臣会議で行われた開戦を強固に主張する東条英機と反対派(若槻礼次郎,岡田啓介など)の壮絶なバトルを記録した当時外務省アメリカ局長であった山本熊一の遺稿『大東亜戦争秘史』があると書かれていて,参謀本部の覚え書き以外にこの会議の記録が存在していることを初めて知る.

CiNiiによると私家版として出版された山本熊一の遺稿『大東亜戦争秘史』は東北大学附属図書館に収蔵されているようである.同図書館のOPACに“跋:本稿は日本国際政治学会季刊誌「日本外交史の諸問題」の資料欄に発表(昭和三十九年九月 日高信六郎)”との注記があるので日本国際政治学会の出版物を調べたところ,雑誌『国際政治』第1964巻第26号で特集『日本外交史の諸問題I』が組まれ,資料として山本の遺稿が所収されたようである.雑誌『国際政治』はJ-STAGEに登載されていたので,これで読めると喜んだのも束の間.肝心の『大東亜戦争秘史』がない.同号に同じく資料として掲載されていた『山縣元帥意見書』は登載されているのに,である.

(余談だがこんなところで日高信六郎の名前を見るとは思ってもいなかった.)

ウィキペディアによると山本熊一は1963年(昭和38年)1月17日に亡くなったとなっているので,著作権の権利者からJ-STAGEへの登載の許諾が得られなかったのかもしれない.日本における著作権の保護期間は原則として著作者の生存年間及びその死後70年間.

仕方がないので複写を申し込もうかと思ったのだが,『国際政治』で3回にわたって特集された『日本外交史の諸問題』のすべての号を在庫している古書店を見つけたのでまずは雑誌を購入することにした.

尚,『日本外交史の諸問題III』が特集された『国際政治』第1968巻第37号に掲載された松本繁一の『日米交渉と中国問題』に“山本熊一遺稿「大東亜戦争秘史」,日本国際政治学会編『日本外交史の諸問題I』所収,二一ページ.なお,山本熊一遺稿「若杉が岩畔と同行帰朝した」とあるのは誤まり.”とある.この指摘の理由は別途調べる必要がある.

引用・参考文献

  1. 半藤一利. “理想のために国を滅ぼしてはならない(若槻礼次郎)”. 戦争というもの. PHP研究所, 2021, p.47. ISBN978-4-569-84965-2.
  2. 財団法人日本国際政治学会. “国際政治: 1964巻, 26号”. J-STAGE. 2010-09-01. https://www.jstage.jst.go.jp/browse/kokusaiseiji/1964/26/_contents/-char/ja, (参照 2021-08-10).
  3. 松本繁一. 特集, 日本外交史の諸問題III: 日米交渉と中国問題, 寺崎外務省アメリカ局長の周辺. 国際政治. 1968, 1968(37), p.72-96. https://doi.org/10.11375/kokusaiseiji1957.37_72, (参照 2021-08-10).
  4. “山本熊一”. フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』. 2020-09-29. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E7%86%8A%E4%B8%80&oldid=79751284, (参照 2021-08-10).
  5. “日高信六郎”. フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』. 2021-07-28. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%97%A5%E9%AB%98%E4%BF%A1%E5%85%AD%E9%83%8E&oldid=84750059, (参照 2021-08-10).