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映画芸術の西部邁追悼記事

先日,友人から前々から探していた映画芸術の第68巻第463号をいただいた.西部邁の追悼記事が掲載されている号で,版元品切れ,古本市場にもあまり出てこないため入手が難しくなっているものだ.

荒井晴彦,阪本順治,松岡錠司,寺脇研の対談の中で,西部邁が出演していたチャンネル桜というネットテレビの討論番組で,「昭和天皇は戦争が終るとき自決すべきだった.」と発言したことがあったと寺脇が述べており,歴史に「もし」はないけれども,その「もし」があったら戦後の日本人が自らが責任を持つという民主主義の大前提が自覚出来たのではないかと近年考えるようになっていた私は思わず唸った.読んだ日が奇しくも日本国憲法が公布された11月3日(文化の日)だったということも余計に思いを募らせた.

寺脇:荒井さんたちの上の世代というのが、西部さんたちです。同世代の人間が西部さんを見るのと自分とは違うよなと思い始めたのは、どうしてなんですか。

荒井:う〜ん、喋っているうちにだろうね。流布されてるイメージと違うなと。

寺脇:喋る機会が増えて、いわゆるイデオロギー以外の部分、映画のことだったり、健康のことだったりとか、そんな人間的部分からですか。

阪本:少なくとも、相手のイデオロギーを見極めて付き合う、付き合わないということを考える人じゃなかったですね、西部さんは。ただ、西部さん自身の中には、大衆に対する考え、あるいは人はこうあるべきだということはあったんだから、イデオロギーは関係ないと言いながら、見られていたとは思うんです。こいつは、次に会ったときに話すに値する人間かどうか。ここにいるだらしない三人にも、どこか人間っぽい部分を見つけてくれたんじゃないですか。嘘をつかないとか。

荒井:「映画芸術」の忘年会でも、全共闘世代のある監督が西部さんにからんだことがあるよね。彼らも先入観で見てしまうんだろう。

寺脇:でも、足立正生さんなんかとは仲良かったですよね。

荒井:西部さんは、六〇年安保の指導部で、足立さんは、それこそ一兵卒。僕なんかは、六〇年安保に対するある憧れみたいなものもあって、左になったみたいなところがあるんだけれど、西部さんに対しても転向とはあまり思わなかった。西部さんは、自分のことを右翼じゃなくて、保守だと言っていたよね。喋っていてなるほどなと分かってきたのは、西部さんが、人間というのは変わらないものなんだと言うところです。社会主義の思想は、人間は変わるんだといって、とんでもないことをするわけで、変わらない奴は粛清したりもする。それに対して「人間は変わらない」、そういうところからスタートする考え方になるほどなと。西部さんと酒を飲んで話すこともあったし、いろいろとシベリア抑留のことなども勉強し、遅かったですね、五〇代ぐらいからかな、やっと「サヨナラ左翼」という感じになったのは。ただ、天皇制に関しては、ぶつかるから西部さんとは話さなかったね(笑)。

松岡:でも、「天皇制を受け止めたらどうだね、荒井くん」とおっしゃっていましたよ。ものすごく柔らかい言い方で(笑)。

寺脇:私も出演していたチャンネル桜というネットテレビの討論番組で、西部さんが昭和天皇は戦争が終るとき自決すべきだったと発言して、私以外の保守派出演者たちが全員フリーズしたことがありました。ご本人は、確信犯的発言で「してやったり」という風でした。つまり、天皇制を認める認めないはいろいろあるけれど、天皇はそのぐらいはしなければと思っていらっしゃった。そういう部分では、他の右翼と呼ばれる人とくらべれば、ある意味、荒井さんとも通じるんじゃないですか。

出典

  • 荒井晴彦; 阪本順治; 松岡錠司; 寺脇研. 特集, 焼肉ドラゴン: 追悼 西部 邁, 生の後ろ側をどう見ていたのですか、西部さん. 映画芸術. 2018, 68(463), p.46-47.